2019年06月11日

今日も検認申請書作成作業

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今日は駅前の銀行3店を訪れ、ヘレンの銀行口座の確認をし、メディケアと運転免許証のオフィスで、死亡通知届けをして、メディケア・カードとドライバーズ・ライセンスをキャンセルした。
駅への道の街路樹はすっかり葉が黄色くなり、真っ青な空に映えてきれいだった。

2019年06月07日

遺言書の受け渡し

今朝はヨーガのレッスンの後、ソリシターの事務所へ、ヘレンの遺言書の受け渡しの依頼に行ってきた。
ソリシターが保管している遺言書の原本を僕に渡すだけなのだが、そのために書類を作り、しかも僕と三人の子供たち全員のサインが必要なので、ただそれだけのことなのに面倒くさい。
遺言書は夕方、受け取りに行くことになった。
夜は友人のモーリーンの家へ夕食に行く。孫娘の11才の誕生日祝いなので、何かプレゼントを買っていってあげよう。

2019年06月06日

事務処理の一日

今日はほぼ一日、銀行回りとソリシターの事務所で、時間を費やした。
相続人は僕と三人の子供たちなので、全員のサインが必要な書類があるとか、コピーじゃだめだ原本を出せとか、いろいろうるさいが仕方がない。

2019年06月05日

遺言の検認

今日から、ヘレンの遺言の検認(probateという)の申請作業を始めた。
ヘレンの子供たち三人はフルタイムで働いているので、そんな事務作業している暇がない。僕が一番時間の融通がきくので、代表して申請作業をやることになった。
遺言の検認は、日本では家庭裁判所へ出向いて申請すればいいし、検認費用も安い。
ところが、こちらでは、最高裁判所の管轄で、費用は資産によって金額が変わる。
資産が5億円以上だと、検認費用を50万円も払わないとならない。
しかも州ごとに管轄が分かれている。ヘレンのように、NSWとQLDの両方に不動産を持っていると、それぞれ別々に検認手続をしないといけないようだ。
面倒だしお金もかかるので、困ったものだ。
手続きはほとんどオンラインでやれるのはいいが、必要書類や記入方法を調べるため、結構大量の文章を読まないければならない。
とりあえず、今日は、検認申請の登録作業を完了させた。
明日も銀行に行ったり弁護士に会ったりする日が続く。

2019年05月30日

墓地の下見

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ヘレンの遺灰はまだしばらくはうちに置いておいておくが、いずれ、どこかの墓地に場所を買って納めたい。
昨日、Cancer Councilのランチの会でも聞いてみたが、ちゃんと墓地に埋めた人もいるし、こっそり海にまいたり、車のガラージの片隅に放ってあるとか、皆、それぞれ違う。
まあ、残された人が好きなようにすればいいのだろう。
うちの近くの墓地だと、Waverley Cemeteryか、葬儀をやったBotanyになる。
今日、Waverley Cemeteryに行って、費用や場所について聞いてきた。
ここは海を見晴らす小高い丘の上にあり、ヘレンもぼくも好きなところだ。長年の散歩コースでもある。
ただし、この辺りでは一番古い墓地なので、スペースは限られているし、値段も高い。墓石の横に記念樹を植えるとかもできない。
敷地内の中央に円形の共同墓地があり、事務所の人が案内してくれた。
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一つの墓石に二人分の遺灰を収める事ができる。
お向かいのリナーテ&アーヴィンも、もうここに墓石を買ってあると言っていた。
夫婦だと、こんなふうにプレートを二枚貼る。
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Botanyの担当者とは、来月、予約が取れたので、話を聞きに行ってくる。

2019年05月23日

お礼の挨拶

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今日は、お世話になった葬儀社と病院を訪ねて回った。
日本で買ってきたお菓子に、お礼のカードを書いて添えて、持っていった。
病院では、5つの菓子箱が入った大きな荷物を抱えて、ヘレンが入院していた3つの病棟を回った。
ナースのチームの他、オンコロジーのドクターチーム、ソーシャルワーカーのチームにもお礼の挨拶に行った。
皆、ヘレンと僕のことを憶えてくれていて、励ましてくれた。

ヘレンが逝ってしまってから、今日でちょうど一ヶ月だ。
昨日今日と、何人かにお礼の電話をして、話をした。
シドニーへ帰ってきて、この三日間は毎晩、家族や友人が夕食に誘ってくれたが、今夜は一人だ。
ヘレンの遺品の整理には、まだ手を付ける気になれない。
ベッドルームは暗くして、ヘレンの服などが目に入らないようにし、日中はできるだけ家の外へ出ることにしている。
心の傷は血が止まった程度なのだろう。触れるのはまだ無理だ。
薄皮が張り、かさぶたになり、新しい皮膚が再生すれば痛みはなくなる。回復の時を待つしかない。それでも傷跡は残るだろうが。

2019年05月22日

ヘレンの遺灰

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今朝、ヘレンの遺灰を受け取りに、葬儀場へ行ってきた。
ありがたいことに、僕一人では心細いだろうと、ヘレンの一番古い友人だったセシリアが一緒に来てくれた。
遺灰はグレーのプラスティックの容器に入っていて、さらに、きれいな白い箱に入れられていた。
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うちに戻って、とりあえずキッチンのベンチの上に置いてみた。
ヘレンが灰になって帰ってきたことを目のあたりにすると、やはり悲しくて涙がこぼれてきた。
この遺灰をどこに埋めるかはこれからゆっくり考えることにする。
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夜は、セシリア&ヴァルが夕食に呼んでくれた。
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セシリアは美味しいポーク・シュニッツェルを作ってくれた。
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ヴァルは若い頃、オーストラリア海軍にいて、1970年の大阪万博に出演(?)したことがある。
2025年にまた大阪でやるそうだよ、と教えてあげたら驚いていた。
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下は、ちゃんと僕のことを憶えていてくれる、19歳の猫のモイラ。
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2019年05月20日

誰もいない家に帰ってきました

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今朝、ANAでシドニーに着いた。
バスを降り、教会がある丘の上から海に向かって、家の方へ歩いて行く。
18年間ずっと見てきたこの景色も、もうヘレンと一緒に見ることはできないのだと思うと、涙がこぼれてきて止まらなくなってしまった。
家のドアを開けると、三週間ほど留守にしただけなのに、もう長い間誰も住んでいない空き家のような空虚な雰囲気が漂っている。
今朝方、飛行機の中から、右方向に、きれいな満月、
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左方向には、真っ赤な太陽が、同時に見えた。
どちらもとってもきれいでね、ラッキーだったよ、と、写真を見ながらそんな話をしたい、一番の人がもういないのだ。
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午後、少し眠って、旅の疲れが取れた。
ありがたいことに、今夜は友人夫婦が夕食に誘ってくれたので、うちの近くのレストランへ。
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久しぶりのレバノン料理が美味しい。
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2019年05月01日

今夜、日本へ

朝、うちに泊まっていた人たちが皆それぞれの家に向けて帰っていった。
大人5人とベビーと犬で賑やかだった家の中が急に静かになった。
予想はしていたが、一人きりは本当に辛い。
こういう時は身体を動かしたほうがいいので、掃除洗濯をし、片付けた。
昨日の葬儀に来られなかった人たちやカードを送ってくれた人たちに電話して、話したりお礼を言った。
そうこうしているうちに、友人のアレックスが立ち寄ってくれた。
美味しい自家製のワインを持ってきてくれたので、二人で空けてしまった。
お昼はお向かいのリナーテ&アーヴィンがランチに呼んでくれた。
本当に良い友人隣人に恵まれてありがたい。

2019年04月30日

ヘレンの葬儀

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今日、ヘレンの葬儀が終わった。
午後2時にチャペルへ行き、最終打ち合わせをした。
葬儀は3時過ぎからスタート。
式の始めの曲は、ぼくの要望で、Secret Gardenの「You raise me up」。
ぼくを始め家族と友人たちがスピーチをし、チェスターが歌を捧げた。
途中、ヘレンの写真をスライドショーで見た。
5分間くらいに収まるようセレクトしておき、BGMはNorah Jonesの「Summertime」を使った。
最後の曲はヘレンが好きだった、Billy Joelの「Piano Man」。
一時間ほどで式が終わり、皆が退出した後、ぼくは一人で残って、ヘレンの棺を前にしばらく泣かせてもらった。
皆は先に、同じ敷地内のローズガーデンを抜けたところにあるファンクションルームへ移動。
準備しておいた飲み物や軽食をつまみながら、皆とおしゃべりした。
夜6時からは、近くのビーチ沿いにあるレストランへ移動して夕食。
夜8時半、たくさんの花やカードをもらって家に帰ってきた。
この一週間、ぼくを助けてくれた家族や友人たち、今日の葬儀に遠くから飛行機や車で来てくれた人たち、来れないまでも思いを寄せてくれた人たち、皆に感謝の念に堪えない。

2019年04月29日

最後の対面式

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朝、葬儀場へ行って、写真と音楽ファイルの動作確認。
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100人くらい座れる、大きい方のチャペルを予約しておいた。
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オペレーターと一緒に、スピーカー、マイク、ディスプレイを確認した。
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午後は、葬儀屋のチャペルでViewing(故人との対面式)。
最初に、僕一人だけを案内してくれた。
祭壇でヘレンの姿を見た途端、涙がどっとあふれてきて、立っていられなくなった。
こんなに辛い思いをしたのは生まれて初めてだ。
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続いて、家族や友人たちを招き入れた。
皆、涙ぐみながらも、ぼくを励ましてくれた。
明日の葬儀に来られない人たちも、三々五々、最後のお別れに来てくれた。
子どもたちが描いた絵や、例年ぼくが作ってきたクリスマスカードを、ヘレンと一緒に納めた。
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泣きはらした目で、うちに帰ってきたら、家の上に虹がかかっていた。
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2019年04月28日

弔辞に悩む

昨日から、ヘレンの葬儀の時に読むEulogy(弔辞)を考えている。
ぼくが最初にスピーチするのだが、長くしゃべるのは、まず無理だ。すぐに涙が出てきてしまう。
ごく短く済ませようとすると、そっけないし、難しい。
アナも数日がかりで呻吟していて、今日試しに読んでみたら、10分以上もかかったとのこと。
ヘレンのエピソードを書いていたら、どんどん長くなってしまったようだ。
葬儀屋からは、一人3分間くらいにしておいてくださいね、と言われているのだが。

明日の午後は、Viewingの日。
葬儀屋の祭壇で、棺桶に入ったヘレンとお別れをする。
家族やごく親しい友人たちが来てくれる。
先日、着せてほしい服を持っていった。髪もきれいに整えてくれているはずだ。
葬儀の時には、棺桶の蓋は閉めたままなので、ヘレンの姿を見る最後のチャンスである。
ぼくは平静でいられるかどうかわからないが。。。

2019年04月27日

久しぶりの散歩

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来週火曜日の葬儀の準備が一段落したので、午後、アナ一家とチェスターと一緒に散歩に行ってきた。
こんなふうにのんびりと外を出歩くのは久しぶりだ。
ClevellyからBronte Beachにかけて、崖の上に遊歩道が設置されていて、美しい海と空が望める。
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ブロンテは残り少なくなってきたビーチ日和を求める人たちで賑わっていた。
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青い空と海、輝く白い砂浜は、今も変わらないのだが、残念ながら心から楽しむことができない。自分の心が錆びついたようになっているのがわかる。
世界はこんなにも美しいのに、その、この場所に今、ヘレンがいないことが悲しくて苦しい。
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2019年04月26日

葬儀の準備で忙しい

毎日、朝から晩まで、葬儀の準備や場所の下見、ソリシターとの打ち合わせなどで忙しい。
家族や友人たちが手伝ってくれるのでありがたい。
お向かいのリナーテは夕食を作ってくれた。
ぼくがシドニーへ来た2001年から18年分の写真から、葬儀の時に映す分のセレクトがようやく終わった。
古い写真はポールがスキャンしてくれているので、その作業が終わり次第、合わせてUSBメモリーに入れる。
月曜日の朝、葬儀場へ持って行って、稼働テストをする。

2019年04月25日

葬儀の後、日本へ

今日の午後、葬儀のCelebrant(執行人)が来て、打ち合わせをした。
式全体の構成や使う音楽、スピーチをする人などを決めた。
ぼくはこれから、スライドショーで使う写真をセレクトする。
来週火曜日にヘレンの葬儀が終わったら、アナ一家もチェスターも、皆、それぞれの家に帰るので、ぼくはこの家で一人になる。
今でも、家の中で目に入る物すべてがヘレンのことを思い出させて、ふいに涙が出てくる。
しばらくここを離れて、気持ちを落ち着かせないと、次に進めない。
リトリートが必要なので、日本で静養することにして、航空券を取った。
5月1日、夜の便で日本へ経ち、20日の朝、シドニーへ戻ってくる。
その頃には、死亡証書が届いているだろうから、ようやくいろいろな事務処理を進められる。

2019年04月24日

ヘレンの葬儀

ヘレンの葬儀を決めてきた。
4月30日午後3時から、Eastern Suburbs Memorial ParkのSouth Chapelで執り行う。
何度か行ったことがあるセメタリーで、ぼくらの好きなLa Perouseの近くだ。
ボタニー・ベイに面した小高い丘に、きれいな庭や池がある。
葬儀の打ち合わせ中、涙を抑えられなくなってしまった。こういう時、家族や友人たちが一緒にいてくれるのは心強い。一人では持ちこたえられない。

2019年04月23日

ヘレンは眠りにつきました

ヘレンは、4月23日、夜9時半、静かに息を引き取りました。

導尿カテーテル

ヘレンとはもうコミュニケーションができない。
うわ言をつぶやきながら、ほとんど目を閉じている。
昨日の夜、尿が500mlもたまっていたので、カテーテルを装着して、導尿した。
ナッピーをしているのだが、自分で排尿できないようだ。
嚥下も難しくなったので、氷を口に含ませてあげるが、なかなか噛もうとしてくれない。

2019年04月21日

18年前の今日

ヘレンはせん妄が激しくなり、もうほとんど、コミュニケーションが取れない。
嚥下も難しくなった。
ぼくがヘレンと出会ったのは、ちょうど18年前の今日、4月21日だった。
そのことをヘレンと話したかったのだが、もうそれもかなわない。

2019年04月19日

せん妄が激しい

ヘレンはせん妄が激しくなり、ほとんどの時間、うつらうつらしながらうわ言を言っている。
個室に移ったおかげで、お見舞いに来てくれた家族や友人も病室でゆっくり滞在できる。
ぼくは、この数日病院ではよく眠れず、さずがに疲れたので、今夜の付き添いはチェスターに頼んで、家に帰ってきた。
夕食はお向かいのリナーテ&アーヴィンが、家に食べにおいでよと呼んでくれた。
こういう時、一緒に御飯を食べて話ができる人がいてくれるのはありがたい。

2019年04月18日

意識が混濁

昨夜もヘレンのベッドサイドの椅子で寝た。
足腰が痛くてたまらない。
今夜から一人部屋へ移れるとのことで、ほっとした。
今朝、一旦、家に帰ってシャワーを浴び、二時間ほど寝た。
これからまた病院へ戻る。
ヘレンは、モルヒネのせいなのだろう、時々、意識が混濁し、うわ言を言ったりする。
口を開けて眠っていることもあるので、乾かないよう、適宜水を飲ませてやる。
固形物はもうほとんど食べられない。氷は口当たりがいいのか、しゃりしゃり食べてくれるが。

2019年04月17日

また左肺の周りに胸水

昨日、ヘレンは胸部のX線検査をした。
右肺はOKだが、左肺の周りに胸水がまた大量に貯まっている。
残念ながら、タルク・コーティングは成功しなかった。
胸水にタルクが混じっているので、ドレインが難しいとのこと。
ドレイン・チームが方法を検討中で、返事待ちだ。
ヘレンは胸水のせいで痛みが出てきて、ハイドロ・モルヒネを使ったのだが、強すぎたようで、昨日は一日ほとんど身動きできずに寝ていた。

2019年04月15日

医療担当者とチーム・ミーティング

今日の午後、ヘレンの医療担当が11人来て、ベッドの周りに椅子を並べ、チーム・ミーティング。
遠くにいるポールとアナも電話で参加した。
まずはヘレンの現状の確認。
胸水がまた貯まり始めたので、検査して、抜くかどうか決める。
腹水は貯まっていない。
胸水による痛みがあるので、ペインコントロールに注意する。
タペンタドール100mgx2/日でほぼ鎮痛されているが、痛みが強くなった時は、ハイドロ・モルヒネを使ってみる。
もし胸水を抜いて、容態が良くなれば、その後、退院して、ホームケアでヘレンの面倒を見る。
ぼくの父もそうだったように、家で療養できれば、それが一番いい。
一時間以上のミーティングで、ヘレンはかなり疲れていたが、家族と医療担当者の認識が共通になったのはありがたい。
夕方、ヘレンの病室が移動になった。
残念ながら、今度は四人部屋で、床にマットレスを敷いて寝るだけのスペースがない。
ベッドサイドの椅子で寝るなら泊まってもいいよと言われたが、ちょっと無理そうなので、今夜は家に帰ることにした。
久しぶりにお風呂に入って、ベッドで眠れるのはうれしい。

2019年04月14日

病室に泊まり込み

昨日は、ヘレンの子どもたち一家がお見舞いに来てくれて、賑やかだった。
ヘレンがぼくに泊まっていってほしいと頼んだので、急遽、マットレスを借りて床で寝た。
夜中の病院は常に物音がしていて、熟睡できない。今日は一日ぼうっとしている。
午後、一旦家に戻ってシャワーを浴びて一息ついたところだ。
夜はまた病室へ泊まりに行く。

2019年04月12日

右肺にも胸水

昨夜、右肺に貯まっていた胸水が急激に増え、ヘレンは呼吸困難になった。
朝、病室に行くと、ヘレンは苦しそうに息をしていた。
医者から説明があり、右肺の胸水はすぐに抜く必要がある量になっているとのこと。
左肺の胸水を3Lほど抜いたばかりなのに、今度は右肺だ。
胸水は抜いても、ガンがある限りまた貯まるので一時しのぎだが、楽に呼吸できるようになる。
午後、注射器で吸い出して、抜く処置をした。
ドレインチューブを挿しっぱなしにして数日かけて抜く方法より簡易的だが、身体はずっと楽だ。
バッグに900mlほど貯まったところで、咳が出始めたのでストップ。
夕方になると、胸水が抜けたおかげで呼吸が楽になり、モルヒネが効いてきたヘレンは眠っていた。
夕食後、再度、様子を見に病院へ。
ヘレンは呼吸や血圧とも安定していてほっとした。
ポールたちもお見舞いに来てくれ、子供たちが歌を歌ったりしてくれた。

2019年04月11日

右肺と心臓の周りに胸水

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ヘレンは背中に刺してあったドレイン・チューブを抜いてもらったので、少し楽に寝られるようになった。
胸膜癒着術のあと、38℃を越える熱があったが、午後には下がってきた。
朝、X線検査をして、胸部の状態を確認したところ、左肺の周りには胸水がなかったが、残念ながら、右肺と心臓の周りに、胸水が溜まってきていた。
心臓への影響が大きくならないか、常時モニターが必要な状態だ。

2019年04月10日

胸膜癒着術

朝、フィジオセラピストが来て、ヘレンを椅子に座らせ、足がむくまないようにエクササイズをしてくれた。
ウォーカーにつかまり、10秒だけだったが、立っていられた。
ほんの少しでも昨日よりアクティブになってくれたのがうれしい。
昼近く、医者のチームがやってきて、ヘレンはタルクによる胸膜癒着術(Talc Pleurodesis)を受けた。
準備に15分くらい、タルクを溶いて、太い注射器でチューブから注入するだけで、ほんの5分くらいで終わった。
施術のあと、肺のあたりに痛みが出てきたので、モルヒネを飲んだ。
夕食後にも様子を見に行ってきたが、ヘレンはまだ痛みがあり、横になって苦しんでいた。
明日は、痛みが軽減してくれるといいが。

2019年04月09日

椅子に座れた

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今日、ヘレンは椅子に座ることができた。
寝たきりでは身体に悪いので、フィジオセラピストが来て、運動させようとしたが、ヘレンにはまだ無理なようだ。
両腕を支えられて、なんとか立ち上がることができたが、一回切りだった。
痛みはあるが、なんとか耐えられているので、今日はモルヒネを使わずにすむかもしれない。
午前中、X線で胸部の検査。左肺には胸水がなく、右肺にほんの少し残っているとのこと。
排出された胸水2.5Lは検査に回された。
午後、オンコロジストが来て、胸水は癌性なので、明日、胸膜にタルクを入れてコーティング処置をすることになった。

2019年04月08日

これからの治療

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クリスの両親がアメリカから、きれいな花束を贈ってくれた。
ネットで注文できるのですぐに届き、ありがたい。
ヘレンは午後になると痛みが強くなるようで、今日も一度だけモルヒネを飲んでいる。
モルヒネが効いている間は眠れるようだが、相変わらず寝たきりで不活性だ。
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夕方、オンコロジストが来て、これからの治療について話をした。
*胸水が癌性かどうかの検査をして、結果待ち。
*胸膜癒着術をする。タルクを入れて、胸膜を癒着させ、胸水が再度貯まるのを防ぐ。
*脊椎に放射線療法をして、痛みを軽減する。
明日の午後、再度ミーティングをすることになった。
下は、昨日、子供たちが持ってきてくれて、窓に貼ってある、お見舞いの絵。
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2019年04月07日

カルシウムが正常値に

ヘレンは、昨日、モルヒネを飲まなかったので、午前中、痛みに苦しんでいた。
午後2時、痛みに耐えられなくなり、モルヒネを飲んだ。
それでようやく落ち着いて眠れるようになった。
夕方、ナースが来て、カルシウムのレベルが下がって正常値になったと伝えてくれて、ほっとした。
今日は日曜日なので、病院内は静かだ。
ヘレンの3人の子どもたちが家族を連れて、また、友人たちもお見舞いに来てくれた。