
「Control」はアントン・コービン監督による、Joy Divisionの故Ian Curtis(イアン・カーティス)のドキュメンタリー映画。原作はイアンの未亡人Deborahが書いた「Touching from a Distance」だ。
もう30年近くも前になるが、Joy Divisionの「Unknown Pleasure」と「Closer」が大好きだった。イアンは、ぼくと同じ1956年に生まれ、2枚のアルバムを残して、1980年に自宅の洗濯室で首を吊ってしまった。イギリスの小さな田舎町で生まれたJoy Divisionはぼくらの時代のドアーズだった。彼らの音楽をリアルタイムで体験できたことは僥倖だ。
この映画は、イアンが自殺した理由について仮説を提示し、それを楽しむという映画ではない。イアンが高校を出て結婚し、職安で働きながら、バンドで歌うようになり、23才で自殺するまでの短い青春時代が、淡々と描かれているだけだ。モノクロームの画面で、イアンが生まれ育ったManchester(マンチェスター)郊外の薄汚れて寒々とした工場街や、彼やバンド仲間が陥っていた当時の閉塞感が、端正に写し取られている。イアンを演じたSam Rileyを始め出演者はとても素晴らしい。ライヴのシーンも当時の雰囲気が良く伝わるリアルな演奏だ。
彼が自殺した理由はわからない。
若くして結婚した妻のデボラは家庭的で、子供もでき、彼の音楽活動を献身的に支えていた。ところがイアンは、レコード会社を通じて知り合ったアニックというベルギー女性と不倫し、なんと彼女をツアーに連れて行く。後でそのことがデボラにばれて問い詰められても何も答えない。一言も口を開かない。この時のイアンは寒気がするほど酷い男だ。突っ立ったまま何も言わず目をそらしデボラを完全に拒否しているのだ。
そしてイアンは度々癲癇の発作を起こし苦しんでいた。癲癇を抑える薬のせいで鬱病のようになってしまう。それが嫌で薬をやめると、ステージで、家で、イアンを容赦なく発作が襲う。
イアンはどうしようもなく弱い男だったのだろう。持病の癲癇、デボラとの不仲、アニックとの不倫、そしてステージで歌うことのプレッシャーに彼は耐えられなかったのだと思う。彼は「She's Lost Control」と歌っていたが、最後にコントロールを失ったのは彼の方だった。デボラに当たり散らして家から追い出し、激しい癲癇の発作に襲われた後、彼は洗濯室の物干しロープに目をやるのだ。
最後のシーンは火葬場である。音の無い映像の中、イアンを失った人たちの空しさとやりきれなさが伝わってくる。
今のぼくはJoy Divisionを頻繁に聞くことはないが、かつてその音が必要だったことは確かだ。イアンのように死んでしまった人たち、人前で演奏することを止めてしまった人たちも大勢いるが、生き延びてしまった人たち、今もやり続けている人たちのほうに、より興味がある。
たとえばヴィニ・ライリー。イアンと同じマンチェスター出身の彼は今もThe Durutti Columnを続けている。写真で見る姿は、昔、六本木のインクスティックで見たときと変わらずほっそりしている。
たとえばジョン・ライドン。イアンやぼくと同じ1956年に生まれたもう一人のこの男は太った身体を揺らして、セックス・ピストルズ30周年記念再結成コンサートなんぞをやっている。マンチェスターへもツアーに行ったようだ。イアンはマンチェスターで見たピストルズのライブに衝撃を受けて歌い出した。彼のような男がまた生まれるだろうか。