2019年08月05日

Cowra Breakout


シドニーから西へ車で4時間くらいのところにCowra(カウラ)という街がある。
ここには第二次世界大戦の時、捕虜収容所があった。イタリア人や台湾人、韓国人の捕虜もいたが、千人以上は日本人だった。
75年前の今日、日本人捕虜が集団脱走を図り、234名が死んだ。監視兵に撃ち殺された者以外にも、自決した人も多い。史上最大にして最も血に塗れたBreakout(脱走)事件として知られている。
収容者は今、美しい日本庭園となり、毎年慰霊祭が行われている。
昔、オーストラリアに来て間もない頃、ヘレンが、毎年9月に開催されている「カウラ桜まつり」に連れて行ってくれた。日本庭園の横にある墓地と記念館を訪れ、ここで何があったらを知って、胸が詰まる思いをした。
この日本人墓地を掃除し、日豪友好に勤めたのが、僕の故郷、奈良のカトリック教会のTony Glynn(トニー・グリン)神父だったことも後で知った。
脱走は、明るい満月の夜、さらに放火して人影が良く見えるようにして決行された。目的は殺されるためだからだ。
ほとんどの者が本心では嫌だと思いながらも、お互いの顔色を伺い、空気を読んで、脱走に賛成したという。
近代戦を戦う軍隊ではなく、「生きて虜囚の辱めを受けず」という戦陣訓に縛られたカルト集団のような心のあり方が悲しい。
posted by Tats at 22:43| Comment(2) | TrackBack(0) | シドニー日記